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森薫『乙嫁語り』第2巻 [漫画]

さて第1巻からは約半年強、雑誌連載を追いかけていない自分にはそれ以上に久しぶりな感じだ。

乙嫁語り 2巻 (ビームコミックス) (BEAM COMIX)

乙嫁語り 2巻 (ビームコミックス) (BEAM COMIX)

  • 作者: 森 薫
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2010/06/15
  • メディア: コミック

今回は新しいキャラクター、パリヤが登場した。アミルには嫁ぎ先で初めてできた友人であり、エマにとってのターシャに類する存在かな。なかなか魅力的なキャラだしコメディリリーフとしても活躍してくれそう。当初から懸念だったアミルの実家の動向、ついに実兄とおじ達が実力行使に出てきた。カルルクたちの町へアミルを取り返しにやってきた彼らと町民総出の戦い(は大袈裟か)が見どころの一つ。ひとまずの解決を見たが、今後も何かと厄介なことになりそうな気配だ。まあこの騒動を経て、若い夫婦の絆は一層強まったようなので良かったんじゃないですかね・・・ちっ(最低な嫉妬)。

カルルクたちの町に長滞在していたスミスさんが英露関係の悪化に伴い町を去ることに。当初からの予定でもあったようだが、情勢の変化が今後の展開にどう影響してくるのか。一旦、視点はスミスの道中を追うことになるのだそうで、新しい部族やそこに暮らすアミルとは別の「乙嫁」が登場するのかもしれない。

さて、個人的に注目していた「舞台装置としての背景をどう描写するのか」という点、今回も少々残念な結果だったかなと。第1巻では人物や動物、あるいは装飾品等の「近景」に偏っていると感じたが、第2巻においても基本的には変わらなかった。アミルやカルルクらを育んだバックボーンとしての「遠景」の描写は未だ上手くこなれていない印象だ。加えて今巻で特に気になったのはアミル強奪(未遂)事件での町の描写だった。主人公たちが暮らす町の様子(位置関係)がよく分からない。当然ながらカルルクとアミルの住む家が町の何処に位置するかも不明だ。そのため襲撃者がどの方向から来て、どういったルートを辿り、どこへ向かっているのか。あるいは町民たちが襲撃者をどの地点に誘い込み、撃退の最適地点と設定したのかも伝わらない。襲撃者はアミルにどこまで迫ってきているか把握できないからサスペンスも生まれないんだな(それが主眼ではないにせよ)。つまり「舞台装置」を有効に使えていないということだ。

少なくとも主人公たちが暮らす町の位置関係は読者に伝えておく必要があったのじゃないか。例えば自宅を出て右手に進み、二つ目の角を左に折れたら友人の家がある...そんなレイアウトが読者の念頭に浮かぶのと浮かばないのとでは随分違ってくると思うのだ。空間としてのセットを組みカメラ位置を設定するのではなく、場面転換ごとに舞台上へ書き割りを用意するような描き方。漫画、アニメを問わず最近やけにこの傾向が目立つような気がしている。念のため書き添えるが、これは『乙嫁語り』を、あるいは森薫だけを責める狙いがあるわけではない。むしろ逆だ。期待してるんです。こんなもんじゃないでしょう貴女はと。

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コメント 5

HINAKA

HINAKAです。

chokusin様

いやいや、相変わらず手厳しい。
ただ、今回に関してはチョッと、視点が違う気がします(今まで同じだと思っていたのか!?と言う突っ込みは、置いておいて)。元々、「エマ」の時からこの作者は、絵としての背景や必要であれば、全体としての俯瞰描写で、部屋全体を描く事はあっても、建物の構造や街全体から見ての自宅?の位置などには、たぶん興味関心は無いように思います。

「エマ」が最初に世話になった、ストゥナー夫人の家も構造が分かるような描かれ方は、していなかったと思います。
これは、後のメルダース家はもちろんですが、ウィリアムの屋敷も同じです。場面転換が巧みで、さり気なくしかしハッキリと、そうと分かるように家屋敷を描き分けられているので、場所の違いに戸惑うことはありません。ただ、では屋敷の全体の構造がどうなっているのか?という部分は、むしろ分からない事だらけです。
ですので、街全体が舞台となった、『乙嫁語り』の「争い」前後編で何処がどうなっているのかも、嫁に出した娘の強奪という荒技に出た親族同様、分からなくて構わないというか、その必要を感じていない作風では無いかと思います。

街の構造どころか、その街が何処にあるのかも、漠然としています。
そして、この件に関しては御本人も、直接「分かるようにするつもりはない」と、おっしゃっていますから、同様にカスバの街並みのごとく、侵入者には容易に位置が判断できない構造という事で、良いのではないかと思います。この作者の主眼は常に、「人及び動物と、その背景」であって、具体的な地理としての位置や、建物としての構造には、興味が無いのだと思います。
極論すれば、そこに出窓があった方がいいな!と思えば、それまでその部屋の窓など描いていなくても、平気で描くような感じです。滑りやすい、階段の手すりとか……。

そもそもアミルとカルルクの部屋は、1階なのか2階なのかすら、未だにハッキリとは描かれていないように思います。
家の中の階段が、どうなっているのかも、良く分かりませんし……。たぶん重要なのは何処に何があるかではなくて、ここには何が必要か?なのだと思います。
問題は、その他の構造が気になる、場面転換をしているかいないか?ではないでしょうか!?
昨今のアニメやマンガ表現が、この点に関して稚拙に見えるのは、基本的に場面転換と画面転換が、うまく行っていないからだと思います。よく言われる、基本が出来ていない!アニメには、映像としての劇映画から受け継いだ、基礎が存在しますし、マンガの特にいわゆるストーリー・マンガには、その劇映画に刺激を受けた創始者・手塚治虫氏が作り上げた、やはり基本が存在します。

いわゆる劇場演劇の基本である、三一致の法則。
場所・時間・人(もの)は、同時に別々に存在する事は出来無い!即ち移動する時には、それを示す場面を作らなければならないと言う原則を、見事に無視している、もしくは字幕スーパーでお手軽に誤魔化している。結果、訳の分からない場面転換や、位置の移動が頻発する事に、最近のアニメやマンガはなる事が多いと思います。
そもそもは、その伝統主義的古典的スタイルを、マンガという新しいメディアで打ち破ろうとした時代は、確かにありました。特にギャグやコメディの分野で……。
ところがそれに、これは見る方もですが慣れ過ぎた結果、本来描かれるべき時間や場所や人物の移動が、おざなりになり、ついには描かれなくなった……のが、現状だと思います。

この点においては、「エマ」以来この作者は、律儀に古典的手法を守り続けているので、ほとんど問題は無いと思います。
個人的には、これまでほとんど使うこと無かった擬音表現を、今回は使うしか無くなった事への、作品への影響の方が、気になりました。ところが、今度は「独白・モノローグ・心の声」を徹底的に廃する事で、擬音効果を増すという、ある種荒技に出たように思えます。
表に出ない言葉は、今のところスミス氏のメモ書きだけに、特化しているようです。

もちろんこれは単なる私見ですので、間違っているのかも知れません。
その内に地理的な地図や、家の構造を示す描写が、出て来るのかも知れません。そうなった時は、まァ~頭を掻いて逃げ出します。

それでは、また長々とお邪魔しました。


by HINAKA (2010-06-27 15:38) 

chokusin

>HINAKAさん
無粋なツッコミとは思ったのですが、少し気になったものでつい。
漫画やアニメでは物理的にカメラを配置できないアングルからの画も可能ですし、必要に応じての省略(あるいは追加)に関しても目くじらを立てるつもりは無いんですけどね。実写映画でそれをやると大変ですが(スクリプターの重要性は言わずもがなです)、そのミス自体を楽しむこともありですし。
by chokusin (2010-06-29 02:54) 

chokusin

cheeさん、はっこうさん、xml_xslさん、アロンダイトさん、「直chan」さん、
takemoviesさん、kotobukimaruさん、dorobouhigeさん、Lunamariaさん、
HINAKAさん、ミナモさん、kakasisannpoさん、ぶさいくたろうさん、月夜さん、
nice!をありがとうございます。まとめてのお礼ですみません。
by chokusin (2010-06-29 02:58) 

cherryh

こんばんは。

町の位置関係というものがいるのかどうかという点については、この作品について言えば、さほどこだわる必要はないのかなと、個人的には思いますが、距離感については、もう少しあってもいいのかな、と。
日常風景であれば、徒歩1分でも徒歩1時間でもさほど気にならないのが、これまでの話でしたが、街中の争いに関して言えば、すぐに駆けつけられる距離なのかどうかで、物語の緊張感が異なるように思います。
そういった、距離感というかスケール感については、もうちょっとメリハリがあるといいですね。(雄大とかそういうスケール感ではなく、歩いてすぐの距離とか、馬でも何十分もかかるとか、そういう具体的なスケールの話です)
by cherryh (2010-09-28 02:32) 

chokusin

>cherryhさん
コメントありがとうございます。

>距離感というかスケール感については、もうちょっとメリハリが
そうですね、感覚的に掴みやすいという意味でも、あるとありがたいなと思います。
なんというか、森薫(に限らずですが)は自分の好きなもの、興味のあるものしか描きませんし、そのスタンスは徹底してます。それらを繋ぎ合わせたら結果としてジャンプカット的な構成になったのかもしれません。
by chokusin (2010-09-28 22:22) 

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