2008-10-30 Thu P・D・ジェイムス『人類の子供たち』 [本‐小説]
人類から生殖能力が失われてから25年、有効な解決策はおろか原因の特定すらできず、緩やかに、だが確実に人類という種が地上から永遠に消え去ることが決定づけられた近未来が舞台の物語。2006年にはアルフォンソ・キュアロン監督の手により映画化(監督自身は原作を未読と公言していたが)もされ、日本でも『トゥモロー・ワールド』の邦題で劇場公開された。映画は自分も鑑賞時に強く打ちのめされた大好きな一本だ。
作者はもともとミステリ作家として著名で、この作品は相当な異色作だそうだ。自分はSFの定義をよく理解していないが、Science Fictionという字義どおりに捉えるならこれは厳密にはSF小説ではないんだろう。人類が生殖能力を失ったことに対する科学的な説明等はむしろ意識的に避けられ、当然その原因究明や解決が主題でもなく状況だけが用意されるのみだ(この点は映画でも共通している)。そのSF小説らしくない点はプラスにもなっていて、科学的な専門用語が多くて混乱するということもなく、むしろ読みやすいという印象を持った。もちろん地の文章というか小説自体の出来が良いんだろうし、翻訳の上手さというのもあるだろうけど。
世界から子供たちの姿が無くなる。病院からは産科が消え、保育所や学校も必要なくなり、公園から遊具が消える。産声も明るい笑い声も元気に遊ぶ姿ももはやどこにもない。人類が連綿と積み上げてきた文化、芸術、社会そのものでさえそれを継ぐものたちが存在しない。もはや維持し発展させていくことに意味がなくなり老いて朽ち果てていくだけの緩慢な死だ。世界的な規模で限界集落となってしまうわけだ。読み進めるうちにじんわりと染みてくるのは、どうにもならない状況への苛立ちだったり絶望だったり。でも最後に残るのはむしろ諦めだろうか。不思議なことに暗さはあまり感じなかった。
「良きにつけ悪しきにつけ、人間の行為の根底には、自分たちは歴史によって形作られているという認識があった。自分たちの人生は短く、不確かで取るに足らないが、国家には、民族には、あるいは一族には未来があるとの認識があった。今やそんな希望は愚者と狂信者の世界にあるだけで、ついに消え去った。過去の知識なくして生きる人間は卑小化し、未来の希望なくして生きる人間は、野獣と化す。地球上から希望が失せ、寿命延長か快適快楽増進に関わる発見以外は科学発明に終止符が打たれた。物理世界やこの惑星への関心は跡形もない。われわれが短期間破壊的な暮らしをして、その残骸を後に残したからといって、何ほどのことがありますか。」
P・D・ジェイムス『人類の子供たち』
映画を観て以来、原作小説にも興味を持っていたが、こちらも大変満足だった。蛇足ではあるが、以前某SNS(というかmixi)に映画の感想を書いたことがあるのでこの下に転載しておく。興味と時間があったらどうぞ。
英語版予告を観て以来、楽しみにしていながら結局リバイバル上映で観ることに。いやー、どうしてロードショー公開中に行かなかったんだ俺のばかあほまぬけ。それほどの満足を与えてくれる作品だった。
原作が気になるところだが実は監督自身も未読なんだそうで。先に読了した共同脚本家の「自分達のやろうとしていることとは違うから」という一言で読むのを止めたとか。まあ映画として完成されてるからその辺は拘るところじゃ全くないけど。
話題になり同時に目玉でもあるワンカットの迫真性、ライブ感は尋常じゃない。色々と目にした意見には「CGIを用いたワンカットに何の意味があるのか」という否定的なものもあった。確かにクライマックスのシーンを観れば分かるように厳密にはワンカットでは無いだろう。だが、それがどうした? あのシーンの持つ力は紛れもなく本物だ。
カメラはほぼ主人公に付き従い、それゆえに彼が見聞きし知り得ることのみが提示される。劇中の登場人物も知らない、観客のみが知っている全てを俯瞰するような「神の視点」はこの映画には存在しない。だから主人公の旅が終わりを迎えるとその瞬間にカメラもまた先へ進むことを止める。その名のとおりキーパーソンである少女や新しい命の行く末がどうなったか、人類は、世界はどうなったかも語られることは無い。そうして映画も幕を下ろす。
映像の持つ力、例えそれが製作者が意図し作り上げたものであっても、スクリーンに映し出された映像には紛れもなく「そこで起こっている瞬間」が存在していたし、その力が自分を打ちのめしたと思う。
※2007年02月27日 02:24付けmixiレビューから転載
今読むとまったくレビューの体を成していない、我ながらひどいなこりゃ。ラストシーンに辿り着いてもいわゆるオチに相当する明確な説明もない、人によっては「なんじゃこりゃ、説明不足のヘタクソな映画だな」と拒絶反応を起こす確率は高い。しかし観客に提示される映像に(たとえ綿密な計算の上で作られたものでも)嘘いつわりはない。未見の方にはぜひおすすめしたい。
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