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TVアニメ感想(『屍姫 玄』最終話) [アニメ感想‐TV]

録画分の消化。

屍姫 玄 [公式サイト(StarChild)]

第25話(玄としては12話)というか最終話だ。第1期である『赫』からは半年間、いろいろ文句も言いながら最後まで見届けられたのは良かったのかもしれない。原作はまだ続いているようなのでアニメ版が中途半端な結末となったのは仕方のないところか。作画に関しても非常に残念というか不満な出来栄え。クライマックスに向かい始めた第22話「生者の価値」がピークで、そこから緩やかに質が下がり始め肝心の最終話が最も低品質となったのは、最後まで見続けたファンや視聴者にとっても不満だったのじゃないか。4月からの新番組をひかえ制作スケジュールがきつかったとか、後日発売されるDVDで修正しますから買ってね、という大人の事情もあるんだろうが。

何しろストーリー的にはまったく決着が付いていないので感想も書きづらい。気になったことなどを書いておこう。赤紗の最期は妙にあっけなかった。彼の目的は達せられなかったわけだが、その原因というのがなあ、縁が切れても無問題っすよ、なんせアタシらの絆や意思は強いっすから!by 屍姫一同...というほとんど反則技だもんな。まあそもそもの動機が昔の女への未練という部分で相当にヘタレだが。なんだか北斗が可哀想に思えてしまった。そりゃあ文字どおり八つ裂きにもしたくなるわ。しかし「縁が切れる」ことによる暴走(屍化)は意志の力で押さえ込んだとして、契約僧からのエネルギー供給は絶たれたままじゃないのと思わんでもない。北斗とマキナが戦った際、オーリに呪いの影響が出始めるシーンはちょっと違和感があった。今後、新たに屍姫を作り出す際にはどうやって縁を結ぶのかね。意志の力だけで可能、というなら便利っちゃ便利だが都合のいい設定だわな。原作ではどう解決させてるんだろうか。

最後の最後までオーリを好きにはなれなかった。特にこの最終話で全てを悟りきったような表情や態度には困ってしまった。マキナに対して「生きている」のと同じだと言ったがやはりそれは違う。死者はあくまでも死者だ。いかに彼女たちが生前以上に生を実感していようとも、生まれ変わって第二の生を営んでいるわけではない。僧は、仏教は死者のためでなく生者のためにこそあるとオーリは言った。確かにそうだ。しかし絶対的に死者であるマキナら屍姫をあくまで生者と変わらない、と言い張るならそれは欺瞞でしかない。『屍姫』のテーマ(というのがあるのなら)である「生と死」について語らせるには、これまでのオーリに関する描写を見るかぎり荷が重すぎると言わざるを得ない。

いやあ、最後まで不満めいたことを書くあたり、自分もつくづく大人気ない。今後も原作には手を出さないと思うので、疑問も不満もそのまま残ってしまうのがやはり残念ではある。スタッフ、キャストの皆さんは半年間お疲れ様でした。

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